読者の感情を動かす 短編漫画のストーリー

短編漫画のストーリーで、読者の感情を自分の意図通りに動かせるようになるための、一見魔法のようだけれど、その実、わりと確実な方法を考察する時間

「リアルな」人間ドラマを構築していく 「どうしても触れたくない」を読む | 第四回

 

どうしても触れたくない (ミリオンコミックス CRAFT SERIES 26)

どうしても触れたくない (ミリオンコミックス CRAFT SERIES 26)

 

BLの名作

私が論じるまでもなく、このヨネダコウさんの「どうしても触れたくない」はBLの名作だと思います。実際に売れましたし、何しろ、「男同士の恋じゃないと描けない」切なさが詰まっています。私もBLの読み切りの原作を一時期やっていました。編集部に対して、何とか自分の考えた企画を通そうとすると、どうしても設定やカップリングの派手さのみを考えてしまいがちですが、この作品は奇をてらう事なく、2人の普通のサラリーマン男子の恋を、大変ピュアに描いています。

人間ドラマを構築していく

この作品、いわゆるゲイではない私であっても感情移入して読めます。それは、作者のヨネダコウさんがとてもとても丁寧にこの2人のキャラクターの感情を描き、エピソードを積み重ねる事によって人間ドラマを構築しているからです(私はゲイではなくても人間ではある)。この単行本はページノンブルがふられていないのですが、第1話から始まるドラマが第3話ぐらいから切なくなり出し、第6話(本編は全6話完結)では切なさマックスになり、激しく感情を揺さぶられます。私は今回この作品を再読して、改めて人間ドラマを構築していく大切さを学びました。それを解説して行こうと思います。

キャラクターのB面を見せるタイミング① とても静かな第1話

さてこの作品、第1話で主人公嶋がもう一人の主人公外川のIT関連の会社に転職して来るところから始まります。嶋はタバコと酒の匂いが大嫌いな線の細い男子。一方外川はタバコと酒が大好きで、その匂いがプンプンしている線の太めの男子です。当然、最初嶋は外川に対して拒絶的な態度を示しますが、外川は何かと嶋をからかい、やたらと絡みます。第1話・第2話は基本的にこの構造で話が進むのですが、人間ドラマの構築という面で考えると、作者のヨネダコウさんは第1話においてはこの会社での2人のキャラクターのやり取り(A面)を見せて、この2人のB面の情報(キャラクターが今でどんな人生を歩んで来たのか、何故今があるのかなどのバックストーリー)をあまり読者に示しません。2人のB面については、具体的には、第1話めでは、嶋がこの会社に入る前には「TGA」という大手IT会社に勤めていた事。外川が実は子供好きのキャラクターであり、子供に対して何か特別な愛情を持っているらしいぐらいです。また、ちょっとだけ、外川のしつこいちょっかいを受ける嶋が、照れたりするシーンをじわじわと描きます。先ほど、このストーリーが第6話めで最も切なくなると言いました。しかし、第1話めは最後に、酔った外川は嶋にキスをする以外は大きな展開がないとても静かな会話劇です。かなり抑えた展開なので、キャラクターのモノローグも最後のキスシーンの嶋のもの以外はありません。

キャラクターのB面を見せるタイミング② 一気に動かす第2話

さて、じわじわと状況やキャラクターのA面を説明した第1話に比べて、第2話では物語は大きく動きます。まず、第1話めラストからの流れで、2人は肉体関係を結びます。この出来事がきっかけとなり、第2話めでは2人のB面について、具体的に描かれていきます。まず、北海道出身の外川の幼少期がとても悲惨であった事(父親が交通事故で死に、母親がノイローゼになり自宅を放火。弟が死に、母親も自殺する。)が外川のセリフと共に語られます。一方の嶋は、前にいた会社で「ノンケの恋人」(ここら辺りがBLは大変複雑です!!)が原因で、酷いイジメ・中傷を受けていた事が、こちらは噂話の形で読者・外川に伝えられます。第1話ではひたすら「外川が嶋をいじる」というA面でしたが、実はB面では2人はこのようなバックストーリーを持っていたのです。

BLというジャンルじゃないとできない事・作者の狙い

この第2話で、作品のテーマでもあり、作者が意図するところのこの物語の面白みの構造も読者に示されます。それは、「重たい過去があり、家庭・子供の存在に心の底の部分で憧れる外川と、男子同士の恋では、どんなに愛し合っても、いわゆる戸籍上の家庭を築いたり、子供を産む事が出来ないという現実と嶋の葛藤」です。先ほど、私はこの作品がBLじゃないと描けない名作だと言ったのはこの部分で、例えば同じような題材でも、男女の恋ではこの種類の切なさは描けません。これがBLというジャンルでしかできない事なのだと思います。ここまでで私は感情移入出来ているので、第2話の最後、嶋の「そのまま 何もせず すぐに眠りに落ちた どうしようもなく 泣きたい衝動に駆られた」で大きく感情が動きます。

普通これをやるとベタになるのですが

実は、ここから先の2人の実際の人間ドラマの切なさについては、私が説明しなくても、この作品を実際に読んでいただければとてもわかると思います。タバコの使い方とかもとても上手で、2人の切なさ、「どうしても触れたくない」という想いがヒシヒシと伝わって来て読んでいてとても感情を動かされます。
私の興味は、このような重たいB面を私たち漫画家志望者がやると、たいていはベタな、とても臭い人間ドラマになってしまい、見ていられない状況になりがちなのですが、何故ヨネダコウさんがやるとこんなに切ない人間ドラマになるかという事です。この部分は、ぜひ漫画家志望者のみなさんとシェアしておきたい認識です。

大事なのは、主人公の葛藤に感情移入できるか

作品は完全にダブル主人公でどちらにでも感情移入出来る形で進みます。これは、短編漫画では基本的にNGとされているやり方です。なので、早くプロになって、連載でそういう技が使えるようになりたいね、という話なのですが、2人をダブル主人公にして、そのそれぞれの葛藤に読者をどっぷり感情移入させることは、プロがやっても難しい技術だと思います。
何故、ヨネダコウさんがやるとそれが上手く行くのかについて考えます。
まず、間違いないのはモノローグの上手さです。これは羽海野チカさんにも言えることですが、こういう切ない系の人間ドラマを組む上で、モノローグの上手さは必須の技術になるでしょう。先ほどの第2話の最後の嶋のモノローグも含め、ヨネダさんは基本的に多様はせずに、キャラクターの切なさがマックスに近くなったところで効果的に、とても詩的にモノローグを使います。
私たち漫画家志望者で、モノローグの練習をしている人はいるでしょうか? おそらく、皆無だと思います。以前、私の教え子で画力的にはまだまだだけど、編集部に持ち込みをして行く先々でとても評価が高かった生徒は、モノローグがとても上手でした。彼女は毎日自分の感じた言葉をモノローグの形でノートに書き貯めておいて、それを投稿作に使っていました。
こういう切ない系のお話を描きたい方は、ぜひモノローグの練習を小まめにすると良いと思います。

 

大事なのは結局人間の把握

話が急に抽象的になってしまい申し訳ないのですが、このようにこの作品を分析して来ると、詰まる所、一番大事なのは「作者が自分のキャラクターたちの感情をありありとまるでリアルな人間のように把握し、それをきちんと描写する」という、私たちからすると「わかっているのだけど、難しい」事に行きついてしまいます。
漫画で描く事は、嘘です。実際に、この世の中には嶋という人間も外川という人間も存在しません(もしかしたら、ヨネダさんの中にモデルはあるのかもしれませんが)。これは、他の名作と言われる作品のキャラクターにも言えます。私たちは基本的に嘘を読者に見せる訳ですが、読者がそれを本当と錯覚するように描かなければ読者は本当の意味で感情移入をしてくれません。それでは、どうすると私たちの嘘が本当っぽく見えるかと言うと、少なくとも私たちの頭の中では、そのキャラクターがありありと存在する。本当に存在する人間と錯覚するぐらいリアルに、特に彼らの感情線について考えるという以外方法はないと思います。実際に、この作品では、私は第4話~6話めぐらいは、少なくとも読んでいる間は、そして、読み終わってその余韻に浸っている間は嶋と外川というキャラクターについてありありと、まるで先ほど会った人物のように感じる事が出来ます。それを脳内で考え、原稿用紙を使って読者にそれを伝えるのが私たち創作者の使命なのです。

そのための演出

作者のヨネダコウさん、キャラクターの表情を描くのがとても上手な作家さんです。それは、表情が上手に描けないと自分が脳内でイメージしたキャラクターの感情を読者に伝えられないからです。
同じく、コマ割りもとってもお上手です。人体のデッサンにも狂いがないです。全ては、読者を感情移入させる、感情移入させた読者を物語から外れさせないための手段です。
第6話、雪が降りしきる京都での再会のシーン。とても抒情的で良いシーンが描かれています。これもキャラクターたちが感じている感情を読者に最も効果的に伝えるための演出です。
つまり、作品を形作る全ての要素が繋がっていて、作品内に「現実」を再現出来ているのです。
先ほど、この物語のような重たいキャラクターのB面を漫画家志望者が描くと、とても臭くて陳腐なドラマになると言いました。私自身もそんな物語を作っては、「どうしてこんなに暗くベタで、面白くないドラマになるのだろう?」と自問自答する20代を過ごしました。理由は、人間がきちんと描けていないために、そういう劇的な要素が「嘘」と読者に分かってしまうからです。

面白い漫画を描く事は、簡単な事ではない

こうしてみると、面白い漫画を描く事は、とてもとても難しい事です。私たちは、とても難しい事をしようとしています。しかし、私たちがしようとしている事は夢もあります。私たちがきちんと人間を描写出来るようになった時、また、作品内に「現実」を再現できるようになった時、私たちの作品は日本国内に止まらず、世界中で歓迎される事でしょう。とにかく、人間がきちんと描け、作品内に「現実」を再現できればよいのです。誤解を恐れずに言うと、そこに「絵柄の古さ」とか、「デビューする年齢」など関係ありません(絵柄が古すぎて読者が感情移入出来ない場合は改善する必要がある)。そのような事を心配する時間があったら、私たちは人間をきちんと描く事に集中しましょう。

[ PR ]

f:id:iruqa:20140913212441j:plain

漫画教室いるかM.B.A.では、7月に通信添削コースをリニューアルしました。素晴らしい先生が揃っているので、特に地方で漫画の相談が出来なかったり、行き詰まっている方はぜひご利用ください! 通学コースも募集中です!