読者の感情を動かす 短編漫画のストーリー

短編漫画のストーリーで、読者の感情を自分の意図通りに動かせるようになるための、一見魔法のようだけれど、その実、わりと確実な方法を考察する時間

外部構成と内部構成のシンクロ度 「式の前日」と「片恋の日記少女」を読む(2) | 第八回

 

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

 

 やっぱり秋は苦手だお。。

こんにちは。田中裕久です。もうすっかり秋が深まって来ましたね。みなさんは楽しい毎日をお送りでしょうか? 私の方は、例年のことながら秋がとっても苦手でして、これは毎日寒くなり、また日の入りも早くなり何だか心細くなるのと、これまでの私の人生の中で悲しいこと、特に失恋とか失恋とか失恋とか、昔好きな子が結婚しちゃったりとかが11月とっても多く起こってですね、そんなこんなで11月は誰にも会わず、暗い部屋で、布団に包まりながら呪詛を唱えたい派なんです。が、今日は天候もよく、脳みその調子もよいのでコラムを書きます。

中村明日美子さん「父と息子とブリ大根」について

今回は主に、中村明日美子さんの「父と息子とブリ大根」という短編作品について考えます。この作品は、短編集「片恋の日記少女」の中の巻頭作品で、全7作の中でも出色の出来ばえです。

物語は、主人公の浜田満(女性に性転換している)が、恋人のキンジ(♂)と自宅アパートに帰宅するところから始まります。2人とも酔っぱらっていて、キンジは満の卒業アルバム、つまり性転換する前の写真を見たがります。アパートの中には満の父親が郷里の伊豆から上京して満を待っていて、軽い修羅場になります。その場は、満が機転を利かせて自分は「ふじいのりか」という名前で満の彼女だと言い、「満くんはちょっと旅に出てまして」と言ったことで収まるのですが、そこから実は満であるところの「ふじいのりか」と満の父親の2週間の奇妙な同居生活が始まります。

以下、あらすじを簡単にまとめると、お父さんはのりかが満であることに気づかず、「あなたはあいつにはもったいない」「あいつとは別れた方がいい」とアドバイスしたりしながら満の帰りを待ちます。満はゲイバーの仲間たちを連れて自宅のアパートに帰るのですが、お父さんは、満がまだ実家にいた時に唯一作ってくれた「漢(おとこ)のブリ大根」を作って待っています。仲間たちとお父さんはすっかり意気投合します。父との共同生活が2週間を迎える頃、主人公満はこの生活がいつまで続くのだろうと少しげんなりしますが、恋人のキンジは「おとさん 気づいてんじゃない?」と意味深なことを言います。そして、「2週間て 休みにしちゃ長すぎるよなァ」とも。主人公満も違和感を感じ帰宅したところ、お父さんは「のりか」を思いやった、そして息子の満のことも思いやった置き手紙をして家を出て行ったのでした。手紙で、お父さんが実は会社をリストラされていたことも明らかになります。
のりかであるところの満は泣きながら父を追います。駅の階段、「おとーさん!!」と父親に追いついた満は、涙ながらに「あたしもお父さんの娘ならよかった… 娘に… 女の子にうまれてたら…」と言います。お父さんは全く動じることなく、「女だったとしても 満がブリ大根のこしたら お父さん怒るよ」と満に手を置いて言います。お父さんは、実は興信所で住所を調べた時に、全てを知っていたのです。去って行く父に、満は満として「くそおやじーー!!」と叫びます。
そして、後日談として、キンジとみつるが結婚したこと(実際は養子縁組)、キンジが時々思い出したようにブリ大根を作るようになったことが語られて物語は終わります。ページ数は32ページです。

 この作品のどこで読者の感情が動くか

私はこの作品をもう5年ぐらい前に感動・感心して読んだのですが、私の感情がどこで揺さぶられたか、動かされたかについて考えてみます。
まず最初のエモーショナルなシーンは10ページめ、満は実家を離れてから両親に一度も連絡を取っていなかったのですが、「のりこ」として父親から、満が高校生の頃拾ってきた飼い猫のナーコが死んだ、ということを聞きます。のりこであるところの満は思わず涙しますが、満は自分は「のりこ」であるために「ナーコのことは満さんからよく聞いていたので」という体で泣きます。このシーン、かなり不思議なシチュエーションの中で、大ゴマで「のりこ」が涙をこぼすと、結構感情を動かされます。

もう1カ所は、やはりラストの置き手紙から満が満としてお父さんを追いかけ、上記のセリフを言うところでしょう。これらも、シチュエーションが屈折しているだけに、感動と共に「上手いなぁ」という感想を持ちます。

つまり、私の感情が動いたのは中盤から後半にかけてなのですが、実はこれにはイントロでの作者の攻めの技術が大きく影響していると考えます。

イントロで良いアイデアを使ってしまう/出し惜しみはしない

この作品、本当に上手なストーリーラインが引けていて、少女漫画だけではなく短編漫画を描く人全てのお手本になるべき作品だと思うのですが、まず私が面白いなと思うのは、作者の中村明日美子さんが、イントロ2・3ページの見開きで、今は女性の格好をしているけれど、浜田満(あだ名はミッチー)が実は男で、伊豆にいる両親はその事を知らない、という設定を読者に明かしてしまう事を選択しているということです。

外見が全く女であり、キンジというイケメン彼氏がいるミッチーを女だと読者をダマすことはたやすい訳ですが、そして伏線を慎重に張って、それが山場で実は男であったと明かされれば、きっと読者にとって強い裏切りになるのですが、中村明日美子さんはイントロで惜しげもなくそのことを明かしてしまい、「その先」を描きます。

恐らくですが、彼女が描きたいのは、そのような山場での男女逆転の裏切りではなく、実は男であり、息子であるが今は「ふじいのりか」という綺麗な女性であるところのミッチーと、その「のりか」の正体が満である事を知っているか知らないか今一つわからないところの、満に説教をしたいところの父親の2週間の同居生活なのです。

このやり方は、前回論じた「式の前日」と真逆のストーリー構成方法です。「式の前日」では、ラスト14・15ページめで、結婚する若い男女と思っていた2人が、実は姉弟だったのでした、というラストの大きな裏切りがありました。この作品の成功は、もちろん作者の穂積さんのストーリー力が抜群に高いのもありますが、16ページという短いページ数だったために、作者に思考する隙を与えなかったとも言えます。

 

ラストの山場やオチはだいたい読める

私はもう11年間漫画家志望者の短編漫画を読んでいますが、ある程度漫画家志望者や新人漫画家の原稿を読むと、そのイントロ数ページを読むとだいたいその作品のオチが読めます。私がそうなので、編集者さんも同様だと思ってください(そういう、漫画を読み慣れていて、意地悪な読み方をする読者は作品を常に先読みしているので、その先読みを見事に裏切る策略はありです。)。

この作品でも、「ミッチーの恋人として登場して来たのりかが、実は満くんでした」というオチだけを見せられたのでは、恐らく感動しなかっただろうし、このように論じたいとも思わなかったと思います。そういう、もしかしたら1編の漫画のオチになりうる大きなネタをイントロで惜しげもなく展開し、「で、こうすると面白いシチュエーションが生まれるでしょ?」という中村明日美子さんの貪欲なエンターテイメント性に感動したからみなさんとその技法をシェアしたいと思いました。

読者を超えるために自分の想像力をぶっ壊す

実はこれと同じようなことを、漫画家の方々が色々なところで言っています。例えば本宮ひろ志さんは「マンガ脳の鍛えかた」で次のように言います。

読者を超えるために自分の想像力をぶっ壊す
「基本的にはファーストシーンと1回目のあらすじだけで、そこから先は、何も思いついてない。おもしろいことがポッと浮かんだらその場で全部使い切る」当然、ラストをどう収拾するかなど考えたりもしない。「間口を広げ過ぎると、当然着地するのは難しくなる。だからもちろん途中でこけたりする場合もありますよ」(中略)根幹には「マンガはしょせんSFだ」という思いがある。「あり得ないことを描くのがマンガ。読者を想像外の世界へ連れて行かなきゃいけないんだから。でも読み手も自分の想像力があるよね。しかも読み手ってある種評論家でもあるわけだから、その時点で描き手より上の目線からマンガを見てるわけ。だから描き手が読者と同じレベルの想像力を使って描いたものは、読者はむしろ下に感じるはずなんだよ。そんなマンガをわざわざ読むわけない。だから最初からマンガ家はその分上乗せして、読者に想像力のレベルで差をつけないといけないんだよ」

伝わりますかね? 本宮さんがおっしゃっていること。創作とは本当にしんどい作業なのですが、「ファーストシーン」で思い切ってありったけのネタを放出するのは1つの正攻法であり、その後作品を爆発的に面白くするかもしれないきっかけなのです。

中村明日美子さんに伺った訳ではないのでいい加減なことは言えませんが、この作品もイントロで「女性の外見をしているが、満は実は男性」というネタを最初に投下しているから後半のより高いレベルでの裏切り(お父さんは実は最初から全てを知っていた)が活きるのであり、作者が物語のレールを思考する段階では、一度ありったけのアイデアを出しきって、「さて、この次にどういうことを起こそう?」と自問自答しているのです。 

マンガ脳の鍛えかた 週刊少年ジャンプ40周年記念出版 (愛蔵版コミックス)

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 起承転結なら何となくできる

特にこのコラムを読んでいる大人の方は、人生を生きて行く中で、何となく「起承転結」で話をまとめることが出来るようになっていると思います。逆に起承転結が出来ないと仕事のプレゼンなどで大きな支障が生まれるでしょう。なので、起承転結が出来る方には一度それを取っ払って、「とっておきのネタを最初に出しきっちゃったけど大丈夫かな??」と思うぐらい思い切ったストーリーラインで物語を展開して行きませんか? と提案したいです。

人間には制御装置が付いているので、そうは言っても、お話は案外破綻しないものです。最後のところで直感的にアイデアが繋がって、この「父と息子とブリ大根」のような秀逸なラスト・裏切りが生まれるかもしれません。

イントロで勝負・中盤で勝負・山場で勝負に勝ち続けないと面白い原稿は作れない

私たちのように読者・編集者側からの期待値ゼロの新人は、面白いイントロで読者に「おっ」と思わせなければなりません。ここで外すと、恐らく自分の漫画が雑誌に掲載されたとしても読み飛ばされてしまうでしょう。イントロで「おっ」と思わせたら、間髪入れずに中盤で「おっ」と思わせなければなりません。大げさに言うなら、各見開きで勝負です。それぐらいの意識じゃないと、他の漫画家志望者に勝ち、雑誌の掲載権を得、連載作家を蹴落とし自分が連載をしてコミックスを出すことはなかなか出来ません。

よく教室の生徒に言うのですが、プロの編集者は、プロの漫画家の素晴らしい原稿を日常的に見ている訳です。野球に例えるならば、ダルビッシュや松坂のようなピッチャーの、150キロ、160キロのストレートの早さの球に慣れているのです。私たち新人は、ストレートが早い人でもせいぜい140キロぐらいのものでしょう。そんな私たちが、「こんなに飛ばして話がまとまるかしら」とか、「物語が収拾不能になるからちょっと押えておこう」と130キロぐらいの球を投げても、草野球では通用するかもしれませんが、プロの編集者をうならせる球は投げられないでしょう。
ですので、ぜひぜひ自分が思いついた、とびっきりのアイデアをイントロで使ってしまう、そして、そこから苦し紛れでもよいので、何とかストーリーをラストにソフトランディングさせる攻めの漫画を作ってみてください。
みなさんのその攻めの姿勢は、必ず一部の読者の感情を動かすでしょうし、編集部で必ず評価されるはずです。

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