読者の感情を動かす 短編漫画のストーリー

短編漫画のストーリーで、読者の感情を自分の意図通りに動かせるようになるための、一見魔法のようだけれど、その実、わりと確実な方法を考察する時間

美味しい飴玉を読者の口に放り込む 「ワンピース」を読む | 第10回

One piece (巻1) (ジャンプ・コミックス)

One piece (巻1) (ジャンプ・コミックス)

 

「ベタ」と「王道」の違いがはっきりとわかったので

前回、中間報告として、私自身がこのコラムを書く中で、長年疑問だった「ベタ」と「王道」の違いについて論じました。みなさんご納得いただけたでしょうか? 私としては、とても理解が致したので、今回は「ワンピース」第1話を例に、王道漫画が何故私たちの感情を動かすのか、逆に言うと、読者の感情を動かす王道漫画の作り方について考察したいと思います。「ワンピース」第1話は、元々読み切りとして掲載された独立色の強い回です。ここで有名なシャンクスのエピソードなどがあります。

70巻を過ぎても売れる「ワンピース」のすごさ/必ず1巻に何か所か泣けるシーンがある

さて、「ワンピース」は言わずと知れた尾田栄一郎さんの大ヒット漫画です。「ドラゴンボール」の連載が終わった後、世の中の人たちは「ドラゴンボール」以上に売れる・面白い漫画はもう出て来ないのではないか、と言いました。が、「ワンピース」が出て来て、大ヒットしたことは私にとっては美談です。今後、「ワンピース」以上に売れる漫画が出て来ることも期待します。「ワンピース」がいかに優れた漫画かについては、既に色々な人が色々なところで論じていると思いますが、私が特にすごいなぁといつも思うのが、70巻を過ぎても読者がついて来ていて、売れ続けているということです。これは、本当に並大抵のことではない気がします。連載漫画は多くの峰が連なる連峰のような物語の形を取りますが、どのシリーズでも読者が「コミックスが出たら買おう」と思い続けているから売れている訳で、そう思わせ続けるのが尾田さんの手腕な訳です。そして、そこにこのコラムのテーマである「読者の感情を動かす」ヒントがありそうな気がします。
現在も「ワンピース」の熱心な読者で、コミックスの新刊が出たら必ずその日のうちに買う友達に、何故そんなに「ワンピース」が面白いのか、読み続けるのかについて聴いたことがあります。彼曰く、「「ワンピース」を買うと、どの巻でも必ず2か所ぐらい泣ける、グッとくるシーンがある。それが欲しいから買う」と。これはおそらく、「ワンピース」の熱心な読者の多くの人に当てはまることだと思います。
このコラムのテーマに寄せると、尾田さんはまさに「読者の感情を動かす」のが上手な漫画家さんなのだと思います。コミックス1巻の中で必ず何か所かで読者の感情を動かしているので、上記の友達のようにそれが70巻を越えてもまだ読み続ける読者が多くいるのです。

第1話のどこで感情が動くか

先ほど言ったように、「ワンピース」の第1話は読み切りでも成立する物語になっているのですが、この第1話のどこで読者の感情が動くのかは、かなり明確です。ほとんどの人は、42ページからのシーンではないでしょうか。

シャンクス率いる海賊に徹底的にやっつけられた山賊のリーダーは、ルフィ―を人質として小船に乗せて海に出ます。そして、「あばよ」と言ってルフィ―を海の中に落とします。ルフィ―は泳げないので絶体絶命です。更に状況は悪化します。山賊の後ろには「近海の主」という大きな魚がいて、小船もろとも山賊のリーダーを食べてしまいます。さあ、ルフィ―がどうなるかというところで、シャンクスが助けに入り、ルフィ―は間一髪のところで助かります。尾田栄一郎さんが上手だなぁと思うのは、このシーンに1ページのルフィ―の回想(43ページ)を入れるところもあるのですが、46ページでシャンクスが近海の主に「失せろ」と凄みを効かせて退散させた後、ルフィ―が泣くところです。このページを一読すると、ルフィ―はピンチをシャンクスに助けられたから泣いているように見えるのですが、「だってよ…」「シャンクス」「腕が」と、ルフィ―を助けたシャンクスが近海の主に左腕を喰われていた事が読者にわかる仕掛けになっています。ページをめくるとシャンクスは「安いもんだ」「腕の一本ぐらい…」「無事でよかった」ととてもかっこよい・男気のあるセリフを言いこのシーンは終わります。
このシーンには、その前のシャンクスたち海賊一味が山賊を退治し、シャンクスが「どんな理由があろうと」「おれは友達を傷つける奴は許さない」と言うシーンと共に、後に大ヒットになる「ワンピース」の良さが詰まっているような気がします。仲間のためならば腕の一本を喰われても眉毛1つ動かさない、というワンピースの美学があります。

このシーンへの伏線

さて、誰が見ても山場なこのシーンですが、もちろんこの第1話を1ページめから読んで行くと、このシーンにたどり着くために作者の尾田栄一郎さんが色々な伏線を張っているのがわかります。一番分かりやすいところで行くと、17ページの居酒屋に乱入してきた山賊がシャンクスを辱め、シャンクスがそれに腹を立てないエピソードでしょう。シャンクスは山賊のリーダーに公衆の面前で辱められますが、それに対してシャンクス本人も海賊の仲間も意に介しません。主人公ルフィ―だけがその屈辱を感じて「あんなのかっこ悪いじゃないか!! 何で戦わないんだよ」「いくらあいつらが大勢で強そうでも!! あんな事されて笑ってるなんて男じゃないぞ!! 海賊じゃないっ!!」と怒ります。上記のように、このシャンクスたちは仲間であるルフィ―をいたぶられたためにこの山賊たちに身体を張って闘うのですが、この1ページからの7ページのエピソードがあるために、読者は「普通屈辱を感じるはずのところでも寛大だったシャンクス一味は、仲間が傷つけられた時には身体を張って闘うのだ」という「ワンピース」の世界の海賊のルールを学び、また、これも上記のシャンクスの熱いセリフの後、実際にシャンクスが腕を一本犠牲にしてルフィ―を助けるエピソードを感動的に読むことが出来ます。
私が論じるまでもなく、「ワンピース」の第1話はとても完成度が高いものなのですが、その多くの要素は上記のことを読者に見せる尾田栄一郎さんの演出力と構成力によるのです。

何故尾田さんは出来て私たちはできないのか?

この読み切りを描いた時、尾田さんは私たちよりは上だったかもしれませんが今のような有名漫画家さんではありませんでした。尾田さんはいくつかの読み切り作品の他には長編漫画は「ワンピース」しか描いていないので、この作品で彼は大きな名声を得たことになります。私はこの「ワンピース」の第1話を面白いと感じます。私は漫画の技法を分析するのが仕事なので、脳みそのどこかでは「山賊の酒場のシーンは「関信の股くぐり」のエピソードの運用だな」とか考えている訳ですが、それでもシャンクスが左腕を失うクライマックスのシーンでは感情が揺さぶられてグッとこみ上げる熱いものを感じます。大事なのは、普段漫画家志望者の方々が描く漫画原稿を読んでいる時にはなかなかこういう風にならないということです(編集者の方の見方もだいたい同じだと思います)。
誤解がないように言うと、私は特に少年漫画家志望の方々がどれだけ漫画を愛し、どれだけ熱い思いで「ワンピース」のような漫画を描こうとしているかを知っています。みんな自分の夢をかけて、本当に真剣に「ワンピース」のような漫画を描きます。キャラデザだってキャラクターの感情線だってストーリーラインだって、尾田さんと天地の差ほどはないように感じます。しかし、とても現実的に言うと、みなさんの漫画のほとんどは「見たことがあるなぁ。ベタだなぁ」という感想になってしまいますし、逆に尾田さんの原稿は「久しぶりに読み返してみたけど、やっぱ第1話からすごいな。友情・努力・勝利の王道を地で行っているよなぁ」という感想になります。違いは、どこにあるのでしょう?

再説:「ベタ」と「王道」の違い 読者に飴をどういう風に食べさせるか 尾田さんの場合

前回の中間報告で書いたように、私は最近自分の中で長年疑問だった「ベタ」と「王道」の違いについて、ある程度の答えを見つけました。最近は方々でこの話をしているのですが、飴玉に例えてもう一度説明させてください。
私たちが山場・クライマックスで見せたいシーンを読者にいかに美味しく飴玉を食べてもらうかに例えます。

少年漫画・少女漫画は山場・クライマックスのシーン、つまり飴玉の味が美味しくないとその前のところをどんなにがんばって構成・演出したからといって面白い漫画・読者にとって美味しい飴になりません。この場合、飴の味はキャラクターとその運用になるでしょうか。なので、私たちは前提として、飴玉職人としていかに魅力的なキャラクターを作るか、いかに活き活きとして、読者がまるで自分の理想の親友を見つけたような気持ちになるかを鍛えなくてはなりません。尾田さんは、というか、売れている漫画家さんは押しなべてそれが出来ています。
そのうえで、じゃあその美味しい飴を読者にどういう風に食べてもらうかです。
今回論じた尾田さんの一連のエピソードの構成・山場の演出はこんな風に例えられないでしょうか?
イントロから尾田さんは「この飴、きっと美味しいですよ」と読者の興味を引きます。読者は何となくその飴を食べてみたいです。しかし、尾田さんはすぐに飴を読者に与えません。中盤、具体的には山賊の酒場のシーンなどで、主人公ルフィ―のセリフなどを使い、読者にも「なんだよ!闘わないのかよ!ていうか、早く飴くれよ」と焦らします。尾田さんは更に次のエピソードでルフィ―1人が山賊と闘いいたぶられるシーンなどで、読者を焦らします。この物語に感情移入した読者は既に尾田さんの術中にはまっていて、シャンクス達の登場とその活躍で少しだけ飴の味を感じるでしょう。そして、「この飴はとっても美味しい。間違いない。早く飴を食べたい!!」という気持ちで海でシャンクスがルフィ―を助けるシーンを読みます。つまり、尾田さんの構成・演出は「ほら、美味しそうな飴でしょ? これってとっても美味しいんですよ。でもまだあげませんからね」から始まり、読者が飴を食べたい気持ちがマックスになった時に、本当に美味しい飴(この物語で見せたいクライマックスのシーン)を読者の口に放り込むのです。で、実際に美味しいので、読者は次も食べたいという気持ちになります。これが、尾田さんの漫画が70巻を越えてもまだ世間で評価され、「もっと尾田さんの飴が舐めたい」と思わせる原動力になっていると思うのです。
尾田さんに限らず、多くの大御所の先生、名作と言われる作品を作って来た先生たちは、この読者に飴を食べたいと思わせてから口に放り込む技術にとても長けています。繰り返しますが、飴がとても美味しいのが前提です。が、食べさせ方もとても上手ということです。

再説:「ベタ」と「王道」の違い 読者に飴をどういう風に食べさせるか ベタな場合

さて、それでは私たちの読者の口に飴を放り込む技術、構成・演出はどうでしょう? 先ほども言ったように、私たちだって生半可な気持ちで漫画を描いていません。本当にプロになりたくて、本気で漫画を描いています。キャラクターへの愛情だってとてもあるし、原稿を丁寧に仕上げます。しかし、です。みなさんは原稿を作る時に、読者のことを考えているでしょうか? 読者にどういう風に飴を食べてもらうと、「ああ、この飴が食べたかった。そして、この漫画家さんの飴をもっと食べたい」と思ってもらうと漫画を作っているでしょうか? 残念ながら、作っていないと思います。プロの漫画家さんたちは、自分の作ったものが雑誌に掲載され、現実的にアンケートやネットでの評判という形で反応が見られるため、嫌でもその部分についての意識が高まっていきます。一方の私たちは、基本的に誰に読まれる前提でもない漫画を作っているため、もしくはとりあえず編集者に見せるためだけに原稿を作っているので、そこの意識が高まりません。
読者に飴を食べてもらう例えで言うと、みなさんの飴がせっかく美味しくても、イントロで「えへへ、飴食べたいでしょ? これね、私が一生懸命作った飴なんですよ」と手汗でベトベトになった飴を差し出したら、読者はどういう気持ちになるでしょう? 多くの場合「うわ、手汗でベトベトじゃん」でしょう。山場、読者は別に飴を食べたくないのに、無理やり読者の口をこじ開け、飴を放り込んだら、読者はどう感じるでしょう? きっと、飴の味を確認する前に飴を吐き捨てると思います。
この例えは少々大げさですが、本質的にはこんなことがあるので、みなさんの漫画は「ベタ」に見えてしまうのではないでしょうか?

特に読者ターゲットが少年・少女の場合は、構成・演出を鍛えよう

プロの漫画家とは、面白い原稿を描き、出版社を通して不特定多数の読者に自分の漫画を買ってもらい(読者は少ないお小遣いの中でみなさんの漫画を買います)、「あーおもしろかった。買ってよかった」と思ってもらうのが仕事です。私も今回のコラムで、この部分について改めて色々と感じました。魅力的なキャラクターを作るのはとても大事なことですが、それだけではなく、構成・演出の技術を磨き、読者を楽しませる必要があります。それが出来る人のみが「王道漫画」を描けるのです。
これは、特に読者ターゲットが少年・少女漫画のように若い世代に向けた作品では重要になります。

僕は少年漫画家志望者に向かって言いたいです。私たちも、「ワンピース」みたいな漫画を作りましょう。尾田さんは全知全能の神様ではありません。同じ人間です。ただし、常に読者を意識し、読者を楽しませることがとてつもなく上手な人間であることを認識し、「ワンピース」みたいな漫画を作りましょう!

 

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中間報告 読者の感情を動かすには「濃さ」と「そのコントロール」が必要なんじゃないか | 第九回

11年前の自分の教えたい 色々な事がわかってドキドキしています。

こんにちは。田中裕久です。このコラムをはじめて9回めを迎える訳ですが、何回やるかを決めていないので、ここらでひとまず中間発表的なことをしたいと思います。
やー、読んでくれている人がいないんじゃないか説などが自分の中にありまして、書くのに難儀したこともありましたが、先日このコラムを見て教室に見学に来てくれた生徒さんもいて、また、何よりも自分自身の中でこの11年間疑問や謎だったことがわかったりもして、本当に実りあるものなので、書いてよかったなぁとそんな風に思っています。

で、僕は漫画教育に携わってもうすぐ丸11年が経つのですが、僕が長年疑問に思っていたこと、
①「ベタ」と「王道」の違いは何か?
②「自分ぶし」はどうやって作りだせばよいのか?
③「魔法の一匙」は何なのか?
について、自分なりに言語化出来て答えが見えたことで今こうやって書きながら、大変ドキドキしています。今僕が見えているものを、11年前の自分に見せてあげたいです。

「ベタ」と「王道」の違いは何か?

この問題がずーっと自分の中で疑問だったのです。ベタとは、ストーリーの先が読めたり、既視感(既に視たことがある感じ)が強く、読んでいて予想通り物語が進行するので、とても萎える感じを言います。王道とは、「来るぞ、来るぞ、来たーー!!」というように、ストーリーの先に何が見えるかほぼわかるのですが、その予想通りに来る感じが気持ちよいというか、予想通りに来てくれるから気持ちの良い感じを言います。

このコラムで取り上げた作品などで言うと、「GTO」や「ドリフターズ」はストーリーラインで言うと「王道」漫画です。主人公が活躍し、問題の解決・勝利を手に入れることが最初からわかっていて、主人公がいかにかっこよく問題を解決するか、勝利を手に入れるかが見どころになります。このことは、「ワンピース」でも顕著でしょう。他に、かわぐちかいじさんの「沈黙の艦隊」や、弘兼憲史さんの「課長島耕作」などが王道漫画の代表例です。次回、これから述べることを「ワンピース」第1話で検証していきます。

漫画家志望者、特に少年漫画・少女漫画家志望の生徒のみなさんも一生懸命漫画を描いています。「ワンピース」みたいな漫画を描こうと、本当に一生懸命に描いてくれます。が、ほとんどの漫画家志望者の漫画は残念ながら「ベタ」の域を出ず、どこかで見たことがある感じと作者のやりたいことはわかるのだけどね、という感じの感想になってしまいます。
私は漫画家志望者に近い立場にいるので、それが何故なのかとても疑問だったし、何とかそれを打破する方法を考えていたのですが、それがなかなか見つかりません出した。

けれど、今回の一連のコラムでそれが何故なのかがはっきりと見えました(断言)。漫画を描くみなさんなら、知りたいでしょ? その理由。
後でまとめて教えますね。なのでこのコラムを最後まで読んでください。

というような読者との対話・間合いの取り方です。端的に言うと。

「自分ぶし」とは何か? どうやって見つければよいか?

自分ぶしに関して言うと、このコラムで取り上げた全ての作品が「自分ぶし」が利いている作品です。「GTO」の主人公鬼塚の問題解決の方法は、藤沢とおるさんしか出来ない方法であり、鬼塚のセリフや行動で一々、藤沢とおるぶしがさく裂していますし、「父と息子とブリ大根」での主人公とキンちゃんとの会話は、何気ない会話のようでいて、中村明日美子ぶしがさく裂しています。「自分ぶし」とは、そうやってその作家さんにしか出来ないエピソード作りだったりキャラクター作りだったり会話の内容だったり、世界観・設定・シチュエーションの作り方を言います。小説だと、村上春樹は「ハルキニスト」というコアなファンがいるほど自分ぶしが強い作家です。
この自分ぶしについても、「ワンピース」では、第1話60ページ少々で、尾田栄一郎さんは既に尾田ぶしをさく裂させているので、短編漫画でも再生可能なはずなのですが、漫画家志望者が自分ぶしをさく裂させるのはなかなか難しいことです。
短編漫画の中で自分ぶしを短いページの漫画の中でさく裂させるには、当たり前ですが作者自身が自分ぶしが何か、どこにあるのかがわかっていて、イントロから始まる短いプログラムの中でそれを全面に押し出していく工夫が必要です。そのためには、自分ぶしがどこにあるのか、そしてそれをより濃くしていくにはどうしたらよいのかについて日頃から考えておく必要があります。
これに関しても今回、ある答えが見つかりました。濃くしていくのはとても大事なのですが、それを読者の印象深く演出することの重要性です。次回お話します。

「魔法の一匙」とは何か?

11年前、漫画教育者になりたての私は、プロの作る王道漫画と生徒たちが作るベタな漫画の違いについて、かなり感覚的に次のように話しました。
「プロが作る漫画は、不思議だけど、不思議なほど面白いんだよね。みなさんの作る漫画とストーリーラインはほとんど変わらないのにね。何か、魔法の一匙が加わっているんだよね」と。
こんな抽象的な説明しか出来なかった私ですが、今はその魔法の一匙が何かがわかります。それは「圧縮と解放」を読者の呼吸に合わせることです。

上記の3点の疑問の回答について、私はこのコラムで読者の感情を動かすにはどうしたらよいのだろう? という視座で漫画を分析することによって見つけました。
以下、それをまとめようと思います。

漫画はフィクションと考えて差し支えないのではないか

前回触れた「漫画脳の鍛え方」の中で、インタビュアーは漫画を「SF」と表現していますが、私の感覚だとサイエンスフィクションというよりはフィクションと言った方がしっくりします。フィクションの定義は「日常」「非日常」とざっくり2つ分けたうちの非日常の部分です。なので、歌舞伎や宝塚もフィクションと捉えます。
よく言うのですが、歌舞伎や宝塚のメイクや衣装を着た人が電車の中にいたら、とてもびっくりするし、大きな違和感があると思います。それは、歌舞伎や宝塚が非日常(フィクション)の舞台の上での劇だからです。漫画にもルポルタージュやエッセイのようなものもありますが、基本的に漫画のほとんどは非日常的なフィクションと考えます。読む側もそれを期待するし、描く側もそれを覚悟して描かねばなりません。
歌舞伎や宝塚のメイクや衣装が何故あんなに濃いのか。それは、非日常の舞台の上の熱を観客に届け、観客を熱く共感させ、感情を動かすにはあれぐらい濃くしないと成立しないからです。
みなさんの漫画は、歌舞伎や宝塚と比べて濃いでしょうか? キャラクターが濃い演技をしているでしょうか?
恐らく、多くの方が薄いと思います。売れっ子の漫画家が作るあの神がかった濃さはなかなか真似出来るものではありませんし、確かな技術に裏打ちされていて、なおかつ多くの場合、長編漫画の疾走感の中で生まれ出て来るものです。専業漫画ではなく、短編漫画しか描けない私たちがあそこまで作品の中に入り込んでキャラクターに迫真の演技をさせるのはとても難しいでしょう。
私たちは、絶対的にプロの漫画家の濃さが不足しています。

濃いいだけではダメ。原稿用紙を使って読者と対話をしよう

さて、私たちががんばってプロ仕様の濃さ・自分ぶしを手に入れたとしましょう。しかし、それだけでは本当に面白い漫画、先がわかっているのに面白い王道漫画は描けません。今度は自分ぶしの運用です。
私たちは多くの場合、イントロで読者の心を掴まなくてはなりません。新人で何の実績もない私たちの原稿のイントロが面白くないと、持ち込み先の編集者さんのテンションはより下がるでしょうし、万が一雑誌に掲載されたとしても、読者は読み飛ばしてしまうと思います。なので、イントロは自分ぶしがさく裂していて、何の期待もしていない編集者や読者が「おっ」となる工夫が必要です。前回のコラムで「私たちはイントロも中盤も山場も面白い漫画を描かなくてはならない」と述べましたが、これにはもう少し説明が必要です。先ほど述べたように、イントロは全力で掴みに行かなくてはいけませんが、その後、とにかく濃いだけの原稿を描いていると、読者の目はその濃さに慣れてしまうので、山場での快心の一撃が効果的ではなくなってしまいます。これまで8回で触れて来た漫画は、濃いだけでなく色々なやり方で読者の感情を揺さぶっていました。多くの場合、時に読者を焦らすような、そういう工夫もありました。
焦らしとは、今回の私のコラムで言うと、
けれど、今回の一連のコラムでそれが何故なのかがはっきりと見えました(断言)。漫画を描くみなさんなら、知りたいでしょ? その理由。
後でまとめて教えますね。なのでこのコラムを最後まで読んでください。
の部分です。
自分ぶし、自分なりの濃さを見つけるのは大変な作業ですが、それが出来てから、またはそれと並行して、ぜひこういう焦らしのテクニックなどを使い、「読者と対話」「読者と呼吸を合わせること」をしてください。
私たちは漫画を描く時、原稿用紙に向かっています。私も今、パソコンに向かってこの文章を打っています。しかし、みなさんの原稿用紙や私のパソコンの先には、多くの読者がいます。「その読者が今どういう気持ちでこの作品を読んでいるだろう?」「このシーンを描くと、読者の感情はどう動くだろう?」と考えるのはとてもとてもとても大事なことです。プロの漫画家になるとは、詰まる所その対話・コミュニケーションを雑誌・コミックスを通して読者とすること、と言って良いと思います。

再び、「ベタ」と「王道」の違いについて 魔法の一匙について

こう覚えましょう。漫画・小説・映画やテレビドラマの脚本・ゲームのシナリオなどは、「読者に飴を食べさせる行為」です。これまで述べて来た自分ぶしとは、飴の味・飴の美味しさです。読者が「美味しい! もっと食べたい!」となるには、当たり前ですが読者の口に入れる飴が本当に美味しくないと可能になりません。しかし、それだけでよいのか。飴を食べたくない読者の口を無理やりこじ開け、手の汗でベタベタになった飴玉を読者の口にねじ込めば、読者は恐らく飴玉を吐き出すでしょう。
漫画などのエンターテイメントの脚本も全く同じです。
私たちは、物語の山場で読者の口に飴を放り込むのですが、それまでになるべく、読者が「その飴食べたい!」と思わせる必要があります。イントロで「美味しそうでしょ? この飴。今美味しいって評判なんですよ」とか、「この飴はね、今品薄でなかなか手に入らないのですよ」とか、時に周りの人たちが「この飴美味しい!」と言っているのを見せ、読者に自分の飴玉に興味を持たせます。そして中盤を通して、読者を押したり、引いたりしながら、読者の意識を常に飴玉に向けさせます。そして、「その飴を早く食べたい」と思わせます。王道漫画が何故面白いのか、何故ストーリーが先読みできるのにハラハラするのか。それは、読者に飴玉が食べたいと思わせ、焦らし、「さあ、食べたいでしょ? じゃあ、ページをめくると口の中に入れますよ」という演出が出来ているからです。で、本当にその飴が美味しいから、読者は「これ面白い!」「続きが読みたい。ぜひ連載にして!」とアンケートを書き、あるいはネットで話題にして、連載が取れます。
これを読んでいるプロじゃないみなさんで、自分の漫画のネームを切っている時、上記のような読者とのやり取り、対話についてきちんと考えている方がどれぐらいいるでしょうか? おそらく、ほぼいないと思います。
魔法の一匙とは、この、読者が自分から口を開け、飴を求めているところに、「寄せて」優しく飴を放り込むの技術です。
この「ベタと王道の違い」についてや「魔法の一匙」については次回「ワンピース」でやります。

しかし、ここまでは私が11年間やってきてやっとこさ気づいたところです。プロの漫画家さんたちは、言語化するしないは問わず、上記のことをわかった上で漫画を作っています。私たちも、出来るようになりましょう。

という、中間報告でした。

 

 

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外部構成と内部構成のシンクロ度 「式の前日」と「片恋の日記少女」を読む(2) | 第八回

 

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

 

 やっぱり秋は苦手だお。。

こんにちは。田中裕久です。もうすっかり秋が深まって来ましたね。みなさんは楽しい毎日をお送りでしょうか? 私の方は、例年のことながら秋がとっても苦手でして、これは毎日寒くなり、また日の入りも早くなり何だか心細くなるのと、これまでの私の人生の中で悲しいこと、特に失恋とか失恋とか失恋とか、昔好きな子が結婚しちゃったりとかが11月とっても多く起こってですね、そんなこんなで11月は誰にも会わず、暗い部屋で、布団に包まりながら呪詛を唱えたい派なんです。が、今日は天候もよく、脳みその調子もよいのでコラムを書きます。

中村明日美子さん「父と息子とブリ大根」について

今回は主に、中村明日美子さんの「父と息子とブリ大根」という短編作品について考えます。この作品は、短編集「片恋の日記少女」の中の巻頭作品で、全7作の中でも出色の出来ばえです。

物語は、主人公の浜田満(女性に性転換している)が、恋人のキンジ(♂)と自宅アパートに帰宅するところから始まります。2人とも酔っぱらっていて、キンジは満の卒業アルバム、つまり性転換する前の写真を見たがります。アパートの中には満の父親が郷里の伊豆から上京して満を待っていて、軽い修羅場になります。その場は、満が機転を利かせて自分は「ふじいのりか」という名前で満の彼女だと言い、「満くんはちょっと旅に出てまして」と言ったことで収まるのですが、そこから実は満であるところの「ふじいのりか」と満の父親の2週間の奇妙な同居生活が始まります。

以下、あらすじを簡単にまとめると、お父さんはのりかが満であることに気づかず、「あなたはあいつにはもったいない」「あいつとは別れた方がいい」とアドバイスしたりしながら満の帰りを待ちます。満はゲイバーの仲間たちを連れて自宅のアパートに帰るのですが、お父さんは、満がまだ実家にいた時に唯一作ってくれた「漢(おとこ)のブリ大根」を作って待っています。仲間たちとお父さんはすっかり意気投合します。父との共同生活が2週間を迎える頃、主人公満はこの生活がいつまで続くのだろうと少しげんなりしますが、恋人のキンジは「おとさん 気づいてんじゃない?」と意味深なことを言います。そして、「2週間て 休みにしちゃ長すぎるよなァ」とも。主人公満も違和感を感じ帰宅したところ、お父さんは「のりか」を思いやった、そして息子の満のことも思いやった置き手紙をして家を出て行ったのでした。手紙で、お父さんが実は会社をリストラされていたことも明らかになります。
のりかであるところの満は泣きながら父を追います。駅の階段、「おとーさん!!」と父親に追いついた満は、涙ながらに「あたしもお父さんの娘ならよかった… 娘に… 女の子にうまれてたら…」と言います。お父さんは全く動じることなく、「女だったとしても 満がブリ大根のこしたら お父さん怒るよ」と満に手を置いて言います。お父さんは、実は興信所で住所を調べた時に、全てを知っていたのです。去って行く父に、満は満として「くそおやじーー!!」と叫びます。
そして、後日談として、キンジとみつるが結婚したこと(実際は養子縁組)、キンジが時々思い出したようにブリ大根を作るようになったことが語られて物語は終わります。ページ数は32ページです。

 この作品のどこで読者の感情が動くか

私はこの作品をもう5年ぐらい前に感動・感心して読んだのですが、私の感情がどこで揺さぶられたか、動かされたかについて考えてみます。
まず最初のエモーショナルなシーンは10ページめ、満は実家を離れてから両親に一度も連絡を取っていなかったのですが、「のりこ」として父親から、満が高校生の頃拾ってきた飼い猫のナーコが死んだ、ということを聞きます。のりこであるところの満は思わず涙しますが、満は自分は「のりこ」であるために「ナーコのことは満さんからよく聞いていたので」という体で泣きます。このシーン、かなり不思議なシチュエーションの中で、大ゴマで「のりこ」が涙をこぼすと、結構感情を動かされます。

もう1カ所は、やはりラストの置き手紙から満が満としてお父さんを追いかけ、上記のセリフを言うところでしょう。これらも、シチュエーションが屈折しているだけに、感動と共に「上手いなぁ」という感想を持ちます。

つまり、私の感情が動いたのは中盤から後半にかけてなのですが、実はこれにはイントロでの作者の攻めの技術が大きく影響していると考えます。

イントロで良いアイデアを使ってしまう/出し惜しみはしない

この作品、本当に上手なストーリーラインが引けていて、少女漫画だけではなく短編漫画を描く人全てのお手本になるべき作品だと思うのですが、まず私が面白いなと思うのは、作者の中村明日美子さんが、イントロ2・3ページの見開きで、今は女性の格好をしているけれど、浜田満(あだ名はミッチー)が実は男で、伊豆にいる両親はその事を知らない、という設定を読者に明かしてしまう事を選択しているということです。

外見が全く女であり、キンジというイケメン彼氏がいるミッチーを女だと読者をダマすことはたやすい訳ですが、そして伏線を慎重に張って、それが山場で実は男であったと明かされれば、きっと読者にとって強い裏切りになるのですが、中村明日美子さんはイントロで惜しげもなくそのことを明かしてしまい、「その先」を描きます。

恐らくですが、彼女が描きたいのは、そのような山場での男女逆転の裏切りではなく、実は男であり、息子であるが今は「ふじいのりか」という綺麗な女性であるところのミッチーと、その「のりか」の正体が満である事を知っているか知らないか今一つわからないところの、満に説教をしたいところの父親の2週間の同居生活なのです。

このやり方は、前回論じた「式の前日」と真逆のストーリー構成方法です。「式の前日」では、ラスト14・15ページめで、結婚する若い男女と思っていた2人が、実は姉弟だったのでした、というラストの大きな裏切りがありました。この作品の成功は、もちろん作者の穂積さんのストーリー力が抜群に高いのもありますが、16ページという短いページ数だったために、作者に思考する隙を与えなかったとも言えます。

 

ラストの山場やオチはだいたい読める

私はもう11年間漫画家志望者の短編漫画を読んでいますが、ある程度漫画家志望者や新人漫画家の原稿を読むと、そのイントロ数ページを読むとだいたいその作品のオチが読めます。私がそうなので、編集者さんも同様だと思ってください(そういう、漫画を読み慣れていて、意地悪な読み方をする読者は作品を常に先読みしているので、その先読みを見事に裏切る策略はありです。)。

この作品でも、「ミッチーの恋人として登場して来たのりかが、実は満くんでした」というオチだけを見せられたのでは、恐らく感動しなかっただろうし、このように論じたいとも思わなかったと思います。そういう、もしかしたら1編の漫画のオチになりうる大きなネタをイントロで惜しげもなく展開し、「で、こうすると面白いシチュエーションが生まれるでしょ?」という中村明日美子さんの貪欲なエンターテイメント性に感動したからみなさんとその技法をシェアしたいと思いました。

読者を超えるために自分の想像力をぶっ壊す

実はこれと同じようなことを、漫画家の方々が色々なところで言っています。例えば本宮ひろ志さんは「マンガ脳の鍛えかた」で次のように言います。

読者を超えるために自分の想像力をぶっ壊す
「基本的にはファーストシーンと1回目のあらすじだけで、そこから先は、何も思いついてない。おもしろいことがポッと浮かんだらその場で全部使い切る」当然、ラストをどう収拾するかなど考えたりもしない。「間口を広げ過ぎると、当然着地するのは難しくなる。だからもちろん途中でこけたりする場合もありますよ」(中略)根幹には「マンガはしょせんSFだ」という思いがある。「あり得ないことを描くのがマンガ。読者を想像外の世界へ連れて行かなきゃいけないんだから。でも読み手も自分の想像力があるよね。しかも読み手ってある種評論家でもあるわけだから、その時点で描き手より上の目線からマンガを見てるわけ。だから描き手が読者と同じレベルの想像力を使って描いたものは、読者はむしろ下に感じるはずなんだよ。そんなマンガをわざわざ読むわけない。だから最初からマンガ家はその分上乗せして、読者に想像力のレベルで差をつけないといけないんだよ」

伝わりますかね? 本宮さんがおっしゃっていること。創作とは本当にしんどい作業なのですが、「ファーストシーン」で思い切ってありったけのネタを放出するのは1つの正攻法であり、その後作品を爆発的に面白くするかもしれないきっかけなのです。

中村明日美子さんに伺った訳ではないのでいい加減なことは言えませんが、この作品もイントロで「女性の外見をしているが、満は実は男性」というネタを最初に投下しているから後半のより高いレベルでの裏切り(お父さんは実は最初から全てを知っていた)が活きるのであり、作者が物語のレールを思考する段階では、一度ありったけのアイデアを出しきって、「さて、この次にどういうことを起こそう?」と自問自答しているのです。 

マンガ脳の鍛えかた 週刊少年ジャンプ40周年記念出版 (愛蔵版コミックス)

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 起承転結なら何となくできる

特にこのコラムを読んでいる大人の方は、人生を生きて行く中で、何となく「起承転結」で話をまとめることが出来るようになっていると思います。逆に起承転結が出来ないと仕事のプレゼンなどで大きな支障が生まれるでしょう。なので、起承転結が出来る方には一度それを取っ払って、「とっておきのネタを最初に出しきっちゃったけど大丈夫かな??」と思うぐらい思い切ったストーリーラインで物語を展開して行きませんか? と提案したいです。

人間には制御装置が付いているので、そうは言っても、お話は案外破綻しないものです。最後のところで直感的にアイデアが繋がって、この「父と息子とブリ大根」のような秀逸なラスト・裏切りが生まれるかもしれません。

イントロで勝負・中盤で勝負・山場で勝負に勝ち続けないと面白い原稿は作れない

私たちのように読者・編集者側からの期待値ゼロの新人は、面白いイントロで読者に「おっ」と思わせなければなりません。ここで外すと、恐らく自分の漫画が雑誌に掲載されたとしても読み飛ばされてしまうでしょう。イントロで「おっ」と思わせたら、間髪入れずに中盤で「おっ」と思わせなければなりません。大げさに言うなら、各見開きで勝負です。それぐらいの意識じゃないと、他の漫画家志望者に勝ち、雑誌の掲載権を得、連載作家を蹴落とし自分が連載をしてコミックスを出すことはなかなか出来ません。

よく教室の生徒に言うのですが、プロの編集者は、プロの漫画家の素晴らしい原稿を日常的に見ている訳です。野球に例えるならば、ダルビッシュや松坂のようなピッチャーの、150キロ、160キロのストレートの早さの球に慣れているのです。私たち新人は、ストレートが早い人でもせいぜい140キロぐらいのものでしょう。そんな私たちが、「こんなに飛ばして話がまとまるかしら」とか、「物語が収拾不能になるからちょっと押えておこう」と130キロぐらいの球を投げても、草野球では通用するかもしれませんが、プロの編集者をうならせる球は投げられないでしょう。
ですので、ぜひぜひ自分が思いついた、とびっきりのアイデアをイントロで使ってしまう、そして、そこから苦し紛れでもよいので、何とかストーリーをラストにソフトランディングさせる攻めの漫画を作ってみてください。
みなさんのその攻めの姿勢は、必ず一部の読者の感情を動かすでしょうし、編集部で必ず評価されるはずです。

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外部構成と内部構成のシンクロ度 「式の前日」と「片恋の日記少女」を読む(1) | 第七回

 

式の前日 (フラワーコミックス)

式の前日 (フラワーコミックス)

 

 まず、「式の前日」から読みます あ、【ネタバレ注意】です

今回と次回は2回連続で、穂積さんの「式の前日」と中村明日美子さんの「片恋の日記少女」を読みます。そこで、「外部構成」と「内部構成」という耳慣れない概念の意味と、そのシンクロ度がいかに大切かを話せればと思います。
さて、この2作品、どちらも短編集で、とても良く売れましたし、話題にもなりました。どちらも「上手い!」と言われた作品です。今回は主に穂積さんの「式の前日」を中心に見て行きたいと思います。
私が持っている「式の前日」は第2刷で、帯には「発売3日で早くも増刷!!」「鮮烈新人・穂積 デビューコミックスにして最高傑作」というコピーが付けられています。実際当事者になると、色々と苦労はあるでしょうが、まだ成功していないクリエーターとしては、率直にとってもうらやましいですね。僕はこんな状況になりたいです。
今回と次回のコラムは、モロに作品のネタバレになってしまうので、興味のある方は、作品を楽しんでからこのコラムを読んでもよいと思います。 

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

 

 「式の前日」の構造 ネタばらしは最後に

そんな穂積さんの鮮烈デビューコミックスは、第1話めに単行本のタイトルにもなった「式の前日」という短編が収められています。ページ数は、私たちが一番描きやすい16ページです。私たちは、「16ページでもこれぐらい面白い漫画が描けるのだ」という視点でもこの作品に注目できます。
この作品、余程先読みが得意な人以外は、物語のラストに「そうだったのか!」「そう来たか!」と良い意味でストーリーに裏切られると思います。具体的には、明日夫婦になる恋人同士と思っていた男女が、実は姉弟だったという事実を知り、とても気持ちの良いやられた感を味わうはずです。そして、改めてもう一度読み返してみて、「ああ、確かに作者はこの2人を夫婦とは言っていない、なるほどねー」とこの作品のストーリーの上手さを感じます。少なくとも私はこのラストは予想できなかったし、「やられた」と感じました。穂積さんはこの作品だけじゃなく、他の短編でもストーリーテリングがとても上手な作家さんです。
この作品は、実は姉弟であるところの若い男女が、結婚式を明日に控えて縁側でやり取りをするところから始まります。主人公は「社会人三年目 仕事も大体安定してきた」男の子です。彼は、明日の式のために仕事を休み、その割には縁側でだらだらとうたた寝をしています。ヒロインは同年代の女子、明日に控えた式のためにソワソワし、明日着る予定のドレスをまた試着しようとしたり、もう決まった席次表の確認などをしています。2人はとても親密で、軽い冗談を言ったり、笑い合ったりします(初読でこれが恋人に見えない読者はほとんどいないんじゃないか?)。9ページめまでは、そんな二人のやり取りが続き、そこから「独身最後の」夜ご飯になります。物語時間が、昼間から夜に移る訳です。そこでも2人は冗談を言いながらご飯を食べ、主人公はお風呂に入り、11ページめは眠る間際になります。11ページのラスト、ヒロインが「お父さんとお母さん」の仏壇がある居間で一緒に眠る事を提案します。12・13ページめの見開きが、この物語の肝になります。2人は別々の布団で眠るのですが、ヒロインが「手 つないで寝てい?」と言い、手を繋いで眠ります。感極まって泣くヒロインに、主人公は愛情に満ちた表情(こういう複雑な表情を描けるようになりたいですね!)で「…泣いてんじゃん? 泣くとブスになるよ 明日」と言います。繰り返しますが、このページの2人の表情がこのストーリーの「内部構成」の肝になります。13ページめラストのめくりで、物語は翌朝になっています。14ページめ以降で、先ほど言ったように読者は大きく裏切られる事になります。14ページめはヒロインがタクシーに乗り、主人公はそれを送り出す状況なのですが、そこからの主人公のモノローグ「仕事も大体安定してきた 父母は俺が十一の時交通事故で先だった」「その二人に代わり 俺を育ててくれた 八つ違いの姉が 今日結婚する」と、「むこう着いたらさ ユースケさんにお礼言っといてよ」「最後に姉ちゃんと過ごす時間くれてありがとうって」で、この2人が実は結婚する恋人同士ではなく、姉弟だという事がわかります。これがこの物語の「外部構成」の肝なのですが、穂積さんはそれを物語のラスト3ページに持って来ています。
ちなみに、来週読む中村明日美子さんの作品群は、読者へのネタばらしは、ほとんどの作品でイントロのうちに済ませてしまいます。この違いは、ストーリーを構成していく上でどちらもお手本になると思います。

「外部構成」・「内部構成」とは何か

と、あらすじを説明したところで、「外部構成」と「内部構成」についてお話したいと思います。
「外部構成」とは、ストーリーラインとそれぞれのエピソードの積み重ねを言います。この作品だと、イントロで若い男女が縁側で明日に控えた結婚式の話をし、ヒロインが色々と心配をし、独身最後の夜ご飯を食べ、居間で一緒に眠り、主人公が実は姉であるところの新婦をタクシーで送り出すストーリーラインとそれぞれのエピソードです。これらのエピソードの1つ1つはそれぞれのキャラクターの感情を伴いますが、一度その部分を取り除いて、ストーリーの中で具体的にどのような出来事が起こり、展開して行くかの構成を「外部構成」と呼びます。言うまでもなく、この作品は外部構成がとても良く出来た作品です。この2014年・読者のほとんどが「マニア」と言って良いほど物語を読み慣れているご時世にあって、ネタバレをする事なくラストで読者を裏切るのは、ストーリーラインがとても巧妙だからです。そういう目で見てみると、穂積さんは序盤・中盤のセリフに細心の注意を払っている事がわかります。
「内部構成」は、そのようなストーリーライン・それぞれのエピソードで、キャラクターの感情がどのように動くか、それが次のエピソード・ストーリーにどのように繋がっていくのかの構成です。この作品で言うと、明日の式に対してソワソワしているヒロインとボーっとしている主人公、その中でもちょっとした笑い合い・愛情があり、独身最後の夜ご飯を笑顔のうちに食べ、お風呂に入った後、居間で手を繋いで眠ろうとする、しかしヒロインが感極まって泣いてしまう、次の朝、主人公がある感慨に耽りながら姉を新郎のところに送り出すまでのキャラクターの感情線です。
私たちが今まで感動して来た、あるいは手に汗を握ってハラハラした漫画やドラマ・映画などを思い出してください。そこには「この先どうなるんだろう?」という外部構成についての引き(読者が思わずページをめくりたくなる仕掛け)と、主人公やサブキャラクターの危機的状況に対するドキドキだったり胃がせりあがるような緊張・内部構成の感情移入が混然一体となってあったのではないでしょうか? 名作と言われる作品や名シーンと言われるシーンは、この外部構成と内部構成のバランスがとてもよく、両方の構成が両輪となって読者は加速度的に物語に感情移入します。
そしてもちろん、この穂積さんの「式の前日」も、地味ながらも、外部構成と内部構成が絶妙のバランスで構築された作品です。この点について、もう少し詳しくみてみましょう。

読者が感情を動かされるのは12・13ページの主人公とヒロインの表情

この「式の前日」の感想を求めると、恐らく多くの読者が「ラストのヒロインがタクシーで式場に向かうシーン、あそこで実は2人が姉弟だとわかって感動した」という答えが返って来ると思います。私もそこの部分で感動もしましたし、そのシーンも抜群に上手いと思うのですが、創作者目線で見逃してはいけないのは、イントロから12・13ページの見開きまでの内部構成です。この作品、「驚くほど面白い・上手い」から、無名の新人の読み切り短編集なのにとても売れたのですが、最後の裏切り、実は2人は姉弟だったという設定がなくても、「面白い短編」になり得る内部構成が出来ています。序盤はいわゆる「あるある」です。たいていの男子は、結婚式にそこまでの思い入れはなく、どちらかというと面倒くさいイベントです。一方の女子は、一世一代の晴れ舞台、やはり自分が主役で素敵なドレスを着たり、皆に祝福されるのはうれしい事でしょう。そういう世の中の結婚式を前日に控えた一般の男女の感情がとても良く描けています。会話のセンスもよいと思います。何気ない、本当に何気ない2人の会話を、私たちはほとんど脳みそを使わずに楽しめます。表情もお上手です。ただ「笑顔」と言っても、お互いがお互いのテンションで、しかし信頼し合っている「笑顔」が狂いなく描けています。そして、そんな笑顔だった2人が居間で眠る時、眠れないヒロインが「手 繋いで寝てい?」と言い、13ページ冒頭、どこまでも優しい主人公の表情と、泣顔のヒロインの表情の境にある「…泣いてんじゃん?」という主人公のセリフを読んだ時、読者は思わずヒロイン側の立場に感情移入してグッとくるはずです。
この作品はこの後ページをめくると「…上手いなぁ」という展開があるのですが、その前までに既に、とても良いシーン、読者が感情移入して思わずもらい泣きしそうになるシーンを構築出来ているのです。
逆に言えば、このシーンまでが杜撰だったり、いまいち感情移入出来ていなかったら、読者はラストのシーンでの裏切りをそこまで面白いとは感じないでしょう。
先ほど言ったように、外部構成と内部構成は車の両輪で、このようにお互いがお互いを触発し合いながらドラマは進んで行くのです。
私たちが16ページで「驚くほど面白い漫画」を描く事はとても困難な事です。私たちだけじゃなく、プロの作家さんだって16ページの読み切りのお仕事が来たら、16ページじゃなくても、24ページでも32ページでも、短いページ数のお仕事が来たら、少し緊張すると思います。短編はとにかく尺がないので、この内部構成・外部構成の構築、そして連動・シンクロに失敗すると、取り返しが付かないからです。

外部構成・内部構成のシンクロ度を高める

外部構成と内部構成は密に絡み合っていればいるほど物語は面白くなります。それでは、そのために私たちは何をするべきでしょうか? 1つは、推敲だと思います。余程の天才が、しかも調子の良い時じゃない限り、一発で外部構成と内部構成を引き、そのシンクロを図る事は無理でしょう。プロの作家も、まずはストーリーライン、そしてそのそれぞれのシーン・エピソードでのキャラクターの感情線を引いてみた後で、「じゃあ、これからこのシンクロ度を高めていくには何をしたらよいだろう?」と考えると思います。例えば、ここで主人公が戦場のエアポケットのような空間に入って安心するシーン、ネームの第一稿では穴に入っただけだったが、主人公のアップで彼が大きくため息を付く演出を入れようとか、モノローグで彼の感情を言わせてみようとか、そういう風に出来上がったネームでシンクロの度合いを高めて行くのだと思います。(ネーム以前の箱書きやサムネイルでそれをやる漫画家さんも多いと思います)
どのプロの漫画家さんに聴いても、一番緊張するのはネームを描くところだと言います。漫画家さんはプロですから、ただ単に「単調なネームを切る」という事に関してはそんなに難しい事ではないでしょう。やはり難しいのは、この外部構成と内部構成をシンクロさせて行き、読者が読んだ時に混然一体となって「感情が動かされる」状態を作るところなのだと思います。
幸運な事に、我々はまだプロの漫画家ではありません。これは皮肉ではなく、失敗が許されるのです。1年後に最高の外部構成・内部構成の連動・シンクロが出来ればよいや、というぐらいの意識で、しばらくこの問題に集中して取り組み、10作品ぐらいで「読者の感情を動かす」ネームを練習してみてもよいと思います。

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短編漫画の教科書 「夏目友人帳」を読む | 第六回

 

夏目友人帳 (1) (花とゆめCOMICS (2842))

夏目友人帳 (1) (花とゆめCOMICS (2842))

 

 今更なのですが

今更かよって話なのですが、ようやく「夏目友人帳」を読み始めまして。現在3巻の途中まで読んだところなのですが、面白いですね。各話、1話完結の形を取っているので、私たちがこれから描く短編漫画の参考に大いになるというか、多くの方にとっては教科書になり得るクオリティと面白さだと思いました。この短編群をきっちり理解し、再生産出来れば、みなさんはほぼ間違いなく面白い短編漫画が作れるようになるのではないかと思います。

第1話は準備体操

この作品、個人的に第1話はあまり面白いと感じませんでした。内容は、主人公夏目貴志と相棒のニャンコ先生の出会い、夏目の殊能力(妖怪が見える)と人間性(その事で気味悪がられ周囲から白い目で見られていた)の紹介と世界観の紹介です。作者緑川ゆきさんのあとがきによると、この作品は連載が確約されていたわけではなく、ご本人が読み切りシリーズとして描きたいとの事だったようです。
この作品は第2話からグッと面白くなり、作品で「読者の感情を動かす」のですが、この第1話と第2話の何が違うのか、第2話にあって第1話にない要素が何なのかを分析する事は、「読者の感情を動かす」上でとても意味があるように思えます。

第2話の問題解決と人間ドラマ

緑川ゆきさんの巻末の自注によると、第2話はシリーズ化がかかっていて、50ページももらっているので、機微もきっちり入れないと、という意識があったようです。第2話、そして第3話以降にあって、第1話にないものは、まずはそれぞれの回で登場する妖怪や人間のバックストーリーです。第2話に登場する「露神」は、大昔から村人に信仰される祠に住む神です。昔から多くの供物を収められ崇められて来た神でしたが、現在は多くの村人に忘れ去られ、おばあさんのハナさんのみが供物を収めています。ハナさんは若い時一度だけ、露神と会話をした事があり、それ以来この祠を信仰するのでした。物語の中で、ハナさんは病気で亡くなり、露神も消えて行きます。そこのシーンはとても感動的で、モノローグがとても効果的に使われています。
第3話以降も、毎話で登場する妖怪やそれに触れた人間のドラマを緑川さんはとても繊細なタッチで描いていくのですが、第1話では「夏目が友人帳を使い妖怪に名前を返す」という事のみが説明されて、上記のような人間ドラマはありません。
故に、この作品を面白くしている要素の1つとして、毎話登場する妖怪や人間とそれにまつわるドラマ。そのドラマを主人公夏目がニャンコ先生やその他の妖怪の力を借りながら解決していくところにあるのは明らかです。

物語内時間について

第2話の露神とハナさんのエピソードが典型ですが、この物語は妖怪が多く登場するために、いわゆる人間の感じる時間間隔よりも長い時間が物語の中で描かれます。第2話は、主人公夏目やハナさんが生まれる遥か前から信仰されていた露神、そして、ハナさんの若い時から年老いるまでがドラマの中にギュッと詰まっています。私たちは、このような物語が始まる前のキャラクターが背負っているストーリーを「バックストーリー」と呼んでいます。そして、このようなバックストーリーが充実したドラマは、短編の場合時に効果的です。萩尾望都さんの「ポーの一族」などでも言えるのですが、ドラマの中で、読者や主人公は知らない露神とハナさんの長い年月をかけて構築した関係の最後のシーンを上手に演出すれば、読者は短いページでもそこに奥行きを感じ、「感情を動かされ」ます。

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モノローグについて

先ほど、この第2話のモノローグが良いと言いました。モノローグは漫画家・小説家に許された最強の武器です。リアルな世界では、主人公やサブキャラクターの心の声をそのまま読者に伝える事は不可能ですが、黙読を前提にしたドラマでならば、それは可能です。
このモノローグについて、第1話のおまけで緑川ゆきさんがコメントを載せてくれています。曰く、「モノローグ 正直ちょっと苦手です。(読むのは好きですが。)心象を示すものは特にヒヤッとします。それは表現うんぬんではなく、心内が覗けてしまったキャラクターには、魅力を感じなくなって描けなくなってしまうことがあるからです。底が知れると冷めてしまうので、極力事態の説明とか、相手との距離を測るか示すものくらいにおさえたいなと思っています」
これを読んで「夏目友人帳」を読むと、確かに特に主人公夏目の感情を表すモノローグ(※ストーリーの説明をするモノローグは多いです)が極端に低い作品になっています。第2話の良いシーンというのも、前半半分は露神のモノローグ、後半半分が夏目のモノローグになっています。このようにギリギリまで抑えて溢れ出たようなモノローグがこの作品を面白くしている一因である事は間違いありません。

短編漫画で再生可能か

さて、それでは上記の2つの事、物語内時間を長く設定する事、モノローグにこだわる事は短編漫画で再生可能でしょうか? 
まず、物語内時間を長く設定する事は充分再生可能です。それをどう演出するかは別として、例えば主人公とヒロインが、前世・前々世でも因縁がある、と言う風な物語内時間の拡げ方は、原理的に可能です。そして、そういう時間設定が短編漫画を面白くする1つの手法である事は間違いありません。
もう1つ、モノローグを極力控えて、溢れ出るように表現する方法も、原理的には可能です。もっとも、「夏目友人帳」第2話のように、サブキャラクター(露神)のモノローグを商業用投稿作で描くのは、出版業界では一般的にしない方がよい事とされています。ただでさえ短いストーリーの中で、主人公以外のキャラクターに感情移入をさせるのは技術的にとても難しいからです。特に創作初心者がこれをやるとほとんどの場合が失敗をします。
ただ、この作品のように、わざと物語の前半では主人公の内面をモノローグでは表現せずに絵(表情・アクション)で見せて、物語の山場で今まで溜めていた内面を一気に表出するような形でモノローグを使用するのはとても効果的だと思います。

全てを説明すれば良いと言う訳ではない/主人公のミステリアスな感じ

この「夏目友人帳」の主人公夏目のミステリアスさ、内面をあまり表出せず、淡々と描いて行く感じは、夏目のキャラクターとしての魅力を充分に演出しています。これは、先ほどの緑川さんの自注のように、緑川さんが夏目を本当に大切に、丁寧に描いて行った結果なのでしょう。そして、後半の溢れるように出て来るモノローグにも重みがあります。
リアルな世界でも初対面の時に自分の全てをさらけ出してしまう(それが完全に出来れば、それはそれでプレゼン能力が高いという事なのでしょうが)よりも、どこか影がある、この人にはまだ奥行きがあるという感じは、時に人間に魅力を与えます。漫画でも全く同じ事が言えると思います。私たちは結局のところ、原稿用紙を通して、読者と会話・対話をしているのです。私たちはリアルな世界で雄弁であったり、魅力的であったりする必要は全くありません。どんなに寡黙であっても、コミュニケーション能力が低くても問題ありません。しかし、読者の感情を動かすには、原稿用紙の上では雄弁であったり、ミステリアスな感じを計算したり、強い共感・感情移入をさせる何かを描く必要があります。そのような意味で、この緑川さんの「戦略」は、とても有効で実践的だと思います。

感情移入について

本当に今更なのですが、短編漫画において、読者に主人公だったり作品世界に感情移入してもらう事はとてもとても大事な事です。よく言うのですが、物語作りが下手な人がイントロ・中盤①・中盤②・後日談を作り、山場だけを井上雄彦さんに描いてもらったとしても、読者は「この作品、山場の演出力と画力が半端なくすごかったね」という感想で終わるでしょう。何故ならば、イントロのキャラクターの感情線だったり、ドラマが繋がっていないからです。感情移入に注目すると、短編漫画の勝負は、実は山場の手前、中盤②までで付いています。中盤②までで「この主人公好き」とか「この作品面白い」と読者が前のめりになってくれていれば、山場の演出や画面作りが多少下手でも読者はカタルシスを感じるし、逆に、中盤②までで「ないよ、こんなこと」とか「この主人公、胸糞悪いわー」と思われてしまっては山場をどれだけがんばっても読者は拍手を送ってくれないでしょう。そのような意味で、短編漫画においては、イントロ・中盤①・中盤②の構成やそこで何を見せるかがとても大事になるのですが、今回の夏目のように、イントロでとりあえず5W1H(この物語がいつ・どこで・誰が・何故・なんのために・どうやって)の表面的な部分を紹介しながらも、物語の山場手前までは、主人公の本心・本性・本質を示さない、読者に「このキャラクターにはまだ何か奥行きがある」という様子を演出しておいて、山場・クライマックスで上手にモノローグを使いながら、「読者が見たかった主人公の本質」が表現されるのはとてもよいプログラム・構成だと思います。

これは少年漫画でも使えるかもしれない

書きながら思ったのですが、このプログラムは、少女漫画のみならず、少年漫画でも使えるかもしれません。もちろん、少年漫画の山場でこの「夏目友人帳」のようなポエジー溢れる繊細なモノローグを使う事は、多くの場合において正解ではないでしょうが、例えば主人公には隠された能力だったり、奥の手があり、物語の序盤でそれを読者に匂わせる、「何かあるなぁ」と期待させておいて、山場で「読者が見たかった最上の形」でそれが示されるならば、読者の感情を充分震わせる事が出来るでしょう。もちろん、その場合は上記のテクニックだけでなく、熱い気持ちもお忘れなく。

まとめ

私たちが「夏目友人帳」をいきなり描くのは無理だと思います。先ほど触れたように、この作品は主人公夏目とニャンコ先生のコンビと、毎話ゲストキャラクターの人間ドラマをセットで描いているので、それだけ作者に技術と技量が求められます。なので、私たちはまずは主人公と相棒のドラマを沢山作り、キャラクター作りやキャラクターの動かし方、物語の構成の仕方や原稿用紙を使った読者との対話のコツを掴んで行く必要があります。しかし、こういう優れた、とても面白い作品と出会うと、何か創作をがんばる気になりませんか?? みなさんのまんが道は、もしかしたらこんなに優れた人間ドラマに繋がっているかもしれないのです。ここにたどり着くためには、繰り返しになりますが、まずは単純なプログラムで、多くの原稿を描く必要があります。具体的な枚数にすると300枚ぐらい。それぐらいの原稿を仕上た時、みなさんはもしかしたらこの「夏目友人帳」のような夢があり、ロマンがあり、最上のエンターテイメントが作りだせるかもしれません。がんばってください。

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非リアルの舞台劇 「制服魔法みどりちゃん」を読む | 第五回

 

制服魔法みどりちゃん (ヤングジャンプコミックス)

制服魔法みどりちゃん (ヤングジャンプコミックス)

 

「どうしても触れたくない」と比べてみると

前回、ヨネダコウさんの人間描写がとてもリアルな漫画「どうしても触れたくない」を読んだので、今回はとびっきり非リアルな、水あさとさんの「制服魔法みどりちゃん」を読みたいと思います。
この作品、生徒に借りて読んだのですが、途中何度もにんまり。大変微笑ましく、これまでとは違う、「萌え」る漫画でした。

「どうしても触れたくない」と「制服魔法みどりちゃん」を並べてみると、読者の感情移入の仕方、少なくとも作者が意図する読者を感情移入させる仕掛けがベクトルは全く違います。しかし、「原稿用紙を使って読者の感情を動かす」という意味では同じ機能を果たしています。今回はその事についてまとめたいと思います。 

 4人の主人公のオムニバス

「制服魔法みどりちゃん」には、4人のそれぞれ異なる魔法が使える少女が各話の主人公として出てきます。それぞれにどういう魔法が使えるかと言うと、第1話のみどりちゃんは、「制服を着ていると男子にとてつもなくモテる」という魔法。第2話ぼたんちゃんは、「人の気持ちがわかる。ただし、相手の好きという感情を感知するとエクスタシーを感じてしまう」(厳密には、世間一般で言うところのエクスタシーとは違うのかもしれません。興味のある方はコミックスを買ってみてください笑。)。第3話・第4話のみやこちゃんは「瞬間移動が出来る。ただし、下着のみが元の場に残る」。第5話のきいなちゃんは「制服を着ている時だけ魔法少女になれる。ただし、魔法を使うたびに制服の布が減っていく」。です。
こうして書き出してみると大変ぶっ飛んだ設定ですが、作品内では水あさとさんの絵柄や演出によって、少なくとも私は違和感なく「感情が動き」ました。

非リアルについて

私たちは、普段色々な情報を目にします。例えば新聞のスポーツ欄で昨日の巨人対阪神の試合のスコアが「3-2」で巨人の勝ちになっている記事を見て、「ありえないでしょ。嘘でしょこんなの」と思う人はほとんどいないと思います。何故ならば、新聞は前提として「事実を伝える」という約束の基に書かれているからです(もちろん各紙、恣意的な部分が多分にありますが)。
それと同じように、この「制服魔法みどりちゃん」を読んで「これは本当にあった事だ。ドキュメンタリーだ」と考える人はほとんどいないと思います。読者は皆、「このお話は嘘だ」というお約束を前提に作品を楽しみ、愛でます。
このように世の中の情報は必ず、3.0次元(リアル)と2.0次元(非リアル)の間に置く事が出来ます。言うまでもなく、野球のスコアの情報は3.0次元に近く、「制服魔法みどりちゃん」は2.0次元に近いです。

イントロでルールを説明するだけでなく、読者を萌えさせる

さて、それでは何故私たちはこの完全なる嘘のドラマに感情移入出来るのでしょう? 前回の「どうしても触れたくない」では、作者のキャラクターの描写、特に2人のB面や葛藤を緻密に描く事で読者が共感をするのだというお話をしました。
しかし、今回のこの作品の感情移入の仕組みは、それとは全然別のようです。

この作品、ちょうど4人の主人公のオムニバスになっているので大変わかりやすのですが、どの主人公のお話であっても、最初の5ページ以内で各話のストーリーのルールがとても分かりやすい形で説明されています。
例えば第1話だと、主人公のみどりちゃんは、「制服を着ると男子にとてつもなくモテる」という魔法が使える訳ですが、1ページめは、主人公みどりちゃんが一生懸命、好きな男の子に告白をしようとしているシーン。次のめくりの見開き(2・3ページめ)でその背後にみどりちゃんに告白をしようとする無数の男子。更にめくると(4ページめ)、場所が移動していて、トイレで制服を脱ぐみどりちゃんです。ちなみに、みどりちゃんは制服を脱ぐと男子に全然モテません。
以上のルールが、大変整理された情報として読者に提示されます。恐らく、日本語がわからなくても情報が読み取れるというぐらいわかりやすい構図です。
このようなイントロを読むと私たちは、「これから始まる嘘の劇は、このようなルールで楽しめるのね」とほとんど脳みそを使わずに明確に理解できます。
前回の「どうしても触れたくない」では、ダブル主人公・嶋と外川のA面(会社での初対面の関係)を淡々と描いて行く第1話で、彼らのバックストーリーが徐々に語られる第2話でした。それと比べると、この作品は大変即物的で、「話が早い」です。
これは、間違いなく現代漫画の1つの在り方です。世の中の人々はみんな忙しく、また、以前に比べて漫画やテレビ以外の情報が世に溢れています。イントロ5ページは読んでくれても、そこで面白くなければ容赦なく切られるというのは、とても現代的です。

「萌え」の構築

それでは、水あさとさんはただひたすらイントロ5ページを分かりやすく描いているだけかと言うと、そうではありません。このイントロ5ページで「読者の感情を動かす」のは、「萌え」の要素です。このような絵柄・女子が好きな男性読者が読めば間違えなく萌えるであろう要素、具体的には大地くんに一生懸命告白しようとするみどりちゃんの表情だったり、その大事な場面に背後から大勢の男子に告白されて思わず口を「ぱくぱく」させてしまうみどりちゃんだったり、トイレで切なそうな表情をして制服を脱ぐみどりちゃんだったり、と、作者は見開きごとに読者が萌える要素をふんだんに使います。
作品はこの後、このイントロのルールに従ってバタバタと物語が転がって行き、最終的にみどりちゃんと大地はお互いに全裸で気持ちを確かめ合います(これも世に言うところの裸で気持ちを確かめ合うのとは違うのでご注意を!笑)。とても面白い山場の見開きで、イントロ5ページでみどりちゃんを可愛いと思った読者は、この山場の見開きに向かって「萌え」を蓄積して行き、とても気持ちのよいラストを迎えるでしょう。

「どこに行けばみどりちゃんと会えるのだろう」と思わせる

先ほど触れたように、この「制服魔法みどりちゃん」はどこから見ても、非リアルなお話です。キャラクターの感情線も、少女たちの「うれし恥ずかし」を描いていますが、非リアルです。けれど、この作品を面白いと思った読者に、現実にはいないとわかっていても「どこに行けばみどりちゃんと会えるだろう」と思わせるのは立派な感情移入だと思います。
このように嘘のお話・キャラクターだとわかっていても、「どこに行けばこの○○ちゃんに会えるだろう?」と思わせる作品は、「萌え」という言語が発明されていなかった昔から(11年前以上昔)、高橋留美子の「うる星やつら」のラムちゃんなどを始め、漫画文化には昔から存在していました。そして、それを高い練度で進化させていったのがこの10年の萌え文化なのだろうと思います。

うる星やつら〔新装版〕(1) (少年サンデーコミックス)   うる星やつら〔新装版〕(2) (少年サンデーコミックス)   うる星やつら〔新装版〕(3) (少年サンデーコミックス)   うる星やつら〔新装版〕(4) (少年サンデーコミックス)

2.5次元について

は以前このような読者にとってちょうどよく、一番負荷が少なく感情移入出来るリアル・非リアルのバランスを「その作品の2.5次元」と呼んだ事があります。完全な後付けですが、名作と言われ、結果的に読者の感情を大きく揺さぶった作品、「あしたのジョー」も、「ベルサイユのばら」も、「北斗の拳」も、「GTO」も、それぞれの立ち位置で、リアルと非リアルの黄金律を取っている2.5次元なのです。
プロの作家さん、特に名作と呼ばれる、多くの人の心を打った作品を作っている作家さんは、みなさんこの2.5次元を持っています。
作家によって、「リアル・非リアル」の配分は違いますが、それぞれ自分の立ち位置が分かっているので、その立ち位置から「読者が一番負荷なく感情移入でき、感情を動かすのはこういうドラマ・こういう描線でしょ?」という提案ができます。
今回の作品で言うと、水あさとさんは水あさとさんの2.5次元を見つけ、そこで「制服魔法みどりちゃん」の世界を描いているし、ヨネダコウさんはヨネダコウさんの2.5次元を見つけ、「どうしても触れたくない」を描いています。
恐らく、水あさとさんには「どうしても触れたくない」は描けないし、ヨネダコウさんには「制服魔法みどりちゃん」は描けないと思います。そもそも描くところが違うので、描く必要もありません。

あしたのジョー(12)<完> (講談社漫画文庫)   STARキャラ★週めくり ベルサイユのばら 幸せ革命カレンダー2015 (STARキャラ・週めくり)   北斗の拳【究極版】 1 (ゼノンコミックスDX)   GTO(2)

自分の2.5次元を見つけよう

私はもう11年間漫画家志望者の方々と一緒に短編漫画を描いていますが、みなさんにはそれぞれ個性があります。私たちはそれを「自分ぶし」と呼んでいますが、漫画や小説を描き始めてすぐに自分ぶしがさく裂していて、強烈な個性を出せる方は稀です。また、そういう方も感覚で出しているので、どこかで壁に当たる事が多いです。私の感覚だと、2年から3年の間、「自分にとって2.5次元はどんな世界だろう?」「自分にとって自分ぶしはどんなものだろう?」と自問しながら探していると、おぼろげながらもそれが見えて来ることが多いです。
そこから先は、ぜひプロの編集者の方とスクラムを組んで、その色を濃くする、一定の2.5次元の中で、物語の中に奥行きを作って行くと良いと思います。そしてそれが一定のレベルを超えた時、私たちは「読者の感情を揺さぶる原稿」が描けるようになるのだと思います。

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「リアルな」人間ドラマを構築していく 「どうしても触れたくない」を読む | 第四回

 

どうしても触れたくない (ミリオンコミックス CRAFT SERIES 26)

どうしても触れたくない (ミリオンコミックス CRAFT SERIES 26)

 

BLの名作

私が論じるまでもなく、このヨネダコウさんの「どうしても触れたくない」はBLの名作だと思います。実際に売れましたし、何しろ、「男同士の恋じゃないと描けない」切なさが詰まっています。私もBLの読み切りの原作を一時期やっていました。編集部に対して、何とか自分の考えた企画を通そうとすると、どうしても設定やカップリングの派手さのみを考えてしまいがちですが、この作品は奇をてらう事なく、2人の普通のサラリーマン男子の恋を、大変ピュアに描いています。

人間ドラマを構築していく

この作品、いわゆるゲイではない私であっても感情移入して読めます。それは、作者のヨネダコウさんがとてもとても丁寧にこの2人のキャラクターの感情を描き、エピソードを積み重ねる事によって人間ドラマを構築しているからです(私はゲイではなくても人間ではある)。この単行本はページノンブルがふられていないのですが、第1話から始まるドラマが第3話ぐらいから切なくなり出し、第6話(本編は全6話完結)では切なさマックスになり、激しく感情を揺さぶられます。私は今回この作品を再読して、改めて人間ドラマを構築していく大切さを学びました。それを解説して行こうと思います。

キャラクターのB面を見せるタイミング① とても静かな第1話

さてこの作品、第1話で主人公嶋がもう一人の主人公外川のIT関連の会社に転職して来るところから始まります。嶋はタバコと酒の匂いが大嫌いな線の細い男子。一方外川はタバコと酒が大好きで、その匂いがプンプンしている線の太めの男子です。当然、最初嶋は外川に対して拒絶的な態度を示しますが、外川は何かと嶋をからかい、やたらと絡みます。第1話・第2話は基本的にこの構造で話が進むのですが、人間ドラマの構築という面で考えると、作者のヨネダコウさんは第1話においてはこの会社での2人のキャラクターのやり取り(A面)を見せて、この2人のB面の情報(キャラクターが今でどんな人生を歩んで来たのか、何故今があるのかなどのバックストーリー)をあまり読者に示しません。2人のB面については、具体的には、第1話めでは、嶋がこの会社に入る前には「TGA」という大手IT会社に勤めていた事。外川が実は子供好きのキャラクターであり、子供に対して何か特別な愛情を持っているらしいぐらいです。また、ちょっとだけ、外川のしつこいちょっかいを受ける嶋が、照れたりするシーンをじわじわと描きます。先ほど、このストーリーが第6話めで最も切なくなると言いました。しかし、第1話めは最後に、酔った外川は嶋にキスをする以外は大きな展開がないとても静かな会話劇です。かなり抑えた展開なので、キャラクターのモノローグも最後のキスシーンの嶋のもの以外はありません。

キャラクターのB面を見せるタイミング② 一気に動かす第2話

さて、じわじわと状況やキャラクターのA面を説明した第1話に比べて、第2話では物語は大きく動きます。まず、第1話めラストからの流れで、2人は肉体関係を結びます。この出来事がきっかけとなり、第2話めでは2人のB面について、具体的に描かれていきます。まず、北海道出身の外川の幼少期がとても悲惨であった事(父親が交通事故で死に、母親がノイローゼになり自宅を放火。弟が死に、母親も自殺する。)が外川のセリフと共に語られます。一方の嶋は、前にいた会社で「ノンケの恋人」(ここら辺りがBLは大変複雑です!!)が原因で、酷いイジメ・中傷を受けていた事が、こちらは噂話の形で読者・外川に伝えられます。第1話ではひたすら「外川が嶋をいじる」というA面でしたが、実はB面では2人はこのようなバックストーリーを持っていたのです。

BLというジャンルじゃないとできない事・作者の狙い

この第2話で、作品のテーマでもあり、作者が意図するところのこの物語の面白みの構造も読者に示されます。それは、「重たい過去があり、家庭・子供の存在に心の底の部分で憧れる外川と、男子同士の恋では、どんなに愛し合っても、いわゆる戸籍上の家庭を築いたり、子供を産む事が出来ないという現実と嶋の葛藤」です。先ほど、私はこの作品がBLじゃないと描けない名作だと言ったのはこの部分で、例えば同じような題材でも、男女の恋ではこの種類の切なさは描けません。これがBLというジャンルでしかできない事なのだと思います。ここまでで私は感情移入出来ているので、第2話の最後、嶋の「そのまま 何もせず すぐに眠りに落ちた どうしようもなく 泣きたい衝動に駆られた」で大きく感情が動きます。

普通これをやるとベタになるのですが

実は、ここから先の2人の実際の人間ドラマの切なさについては、私が説明しなくても、この作品を実際に読んでいただければとてもわかると思います。タバコの使い方とかもとても上手で、2人の切なさ、「どうしても触れたくない」という想いがヒシヒシと伝わって来て読んでいてとても感情を動かされます。
私の興味は、このような重たいB面を私たち漫画家志望者がやると、たいていはベタな、とても臭い人間ドラマになってしまい、見ていられない状況になりがちなのですが、何故ヨネダコウさんがやるとこんなに切ない人間ドラマになるかという事です。この部分は、ぜひ漫画家志望者のみなさんとシェアしておきたい認識です。

大事なのは、主人公の葛藤に感情移入できるか

作品は完全にダブル主人公でどちらにでも感情移入出来る形で進みます。これは、短編漫画では基本的にNGとされているやり方です。なので、早くプロになって、連載でそういう技が使えるようになりたいね、という話なのですが、2人をダブル主人公にして、そのそれぞれの葛藤に読者をどっぷり感情移入させることは、プロがやっても難しい技術だと思います。
何故、ヨネダコウさんがやるとそれが上手く行くのかについて考えます。
まず、間違いないのはモノローグの上手さです。これは羽海野チカさんにも言えることですが、こういう切ない系の人間ドラマを組む上で、モノローグの上手さは必須の技術になるでしょう。先ほどの第2話の最後の嶋のモノローグも含め、ヨネダさんは基本的に多様はせずに、キャラクターの切なさがマックスに近くなったところで効果的に、とても詩的にモノローグを使います。
私たち漫画家志望者で、モノローグの練習をしている人はいるでしょうか? おそらく、皆無だと思います。以前、私の教え子で画力的にはまだまだだけど、編集部に持ち込みをして行く先々でとても評価が高かった生徒は、モノローグがとても上手でした。彼女は毎日自分の感じた言葉をモノローグの形でノートに書き貯めておいて、それを投稿作に使っていました。
こういう切ない系のお話を描きたい方は、ぜひモノローグの練習を小まめにすると良いと思います。

 

大事なのは結局人間の把握

話が急に抽象的になってしまい申し訳ないのですが、このようにこの作品を分析して来ると、詰まる所、一番大事なのは「作者が自分のキャラクターたちの感情をありありとまるでリアルな人間のように把握し、それをきちんと描写する」という、私たちからすると「わかっているのだけど、難しい」事に行きついてしまいます。
漫画で描く事は、嘘です。実際に、この世の中には嶋という人間も外川という人間も存在しません(もしかしたら、ヨネダさんの中にモデルはあるのかもしれませんが)。これは、他の名作と言われる作品のキャラクターにも言えます。私たちは基本的に嘘を読者に見せる訳ですが、読者がそれを本当と錯覚するように描かなければ読者は本当の意味で感情移入をしてくれません。それでは、どうすると私たちの嘘が本当っぽく見えるかと言うと、少なくとも私たちの頭の中では、そのキャラクターがありありと存在する。本当に存在する人間と錯覚するぐらいリアルに、特に彼らの感情線について考えるという以外方法はないと思います。実際に、この作品では、私は第4話~6話めぐらいは、少なくとも読んでいる間は、そして、読み終わってその余韻に浸っている間は嶋と外川というキャラクターについてありありと、まるで先ほど会った人物のように感じる事が出来ます。それを脳内で考え、原稿用紙を使って読者にそれを伝えるのが私たち創作者の使命なのです。

そのための演出

作者のヨネダコウさん、キャラクターの表情を描くのがとても上手な作家さんです。それは、表情が上手に描けないと自分が脳内でイメージしたキャラクターの感情を読者に伝えられないからです。
同じく、コマ割りもとってもお上手です。人体のデッサンにも狂いがないです。全ては、読者を感情移入させる、感情移入させた読者を物語から外れさせないための手段です。
第6話、雪が降りしきる京都での再会のシーン。とても抒情的で良いシーンが描かれています。これもキャラクターたちが感じている感情を読者に最も効果的に伝えるための演出です。
つまり、作品を形作る全ての要素が繋がっていて、作品内に「現実」を再現出来ているのです。
先ほど、この物語のような重たいキャラクターのB面を漫画家志望者が描くと、とても臭くて陳腐なドラマになると言いました。私自身もそんな物語を作っては、「どうしてこんなに暗くベタで、面白くないドラマになるのだろう?」と自問自答する20代を過ごしました。理由は、人間がきちんと描けていないために、そういう劇的な要素が「嘘」と読者に分かってしまうからです。

面白い漫画を描く事は、簡単な事ではない

こうしてみると、面白い漫画を描く事は、とてもとても難しい事です。私たちは、とても難しい事をしようとしています。しかし、私たちがしようとしている事は夢もあります。私たちがきちんと人間を描写出来るようになった時、また、作品内に「現実」を再現できるようになった時、私たちの作品は日本国内に止まらず、世界中で歓迎される事でしょう。とにかく、人間がきちんと描け、作品内に「現実」を再現できればよいのです。誤解を恐れずに言うと、そこに「絵柄の古さ」とか、「デビューする年齢」など関係ありません(絵柄が古すぎて読者が感情移入出来ない場合は改善する必要がある)。そのような事を心配する時間があったら、私たちは人間をきちんと描く事に集中しましょう。

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